本の話がしたいんだ♯3~なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅香帆~

低コストな趣味

そういえばここ数年、あまり読めてないな

私の場合は、意外と働きながらでも本は読めていた方だと思う。なので3年前であれば「別に働いていても読めなくないけどな」と、手に取ろうともしなかったであろう本。

状況が変わったのは約2年半前。上の子を保育園に預け仕事復帰した時期から。

全然読めない。なのにyoutubeはたくさん見ている。どうでもいいスマホゲームはできる。だけど本は読めない。手にするまでの心のハードルがなんか超えられない。読み始めても頭に入ってこない。すぐ疲れちゃう。

まとまった時間が取れないから?

いや、それもあるけど唯一の理由ではないな。夢中になる本さえ見つかれば電車やバスで移動中のわずかな時間でも読むことはできてた。

気が付いたら年間5冊ぐらいしか読んでない。

読書の実績を「冊数」で誇るのはナンセンスとは思っている。これはあくまでも「当社比」みたいなもんで「今年一年は頑張って読むぞ。100冊読むぞ」と心してゴリゴリ読んだ時期で年間80冊ぐらいだった(目標には到達していないものの、まあ満足感はある)

それと比べると5冊は少ない。

唯一の自分の自由時間である寝る前の数十分もだらだらスマホを見て終わってしまう。だったらさっさと寝ればいいのに…

本を読みたい理由

私の読む動機は2本の柱でできています。

1本は「好きな本に出合って心を揺り動かされたい」というもの、

もう1本は「本をたくさん読んでると知的な人になれるような気がする」というメタ認知をこじらせた中学生みたいな動機。

真摯であれ邪であれ「読みたい」という欲求は常にある。でも「読めない」事情があり「読めない」ことに葛藤を抱いている。

そんな感じで2年半ほど過ごしてきました。

この本、10万部ほど売れているそうです。私のように「読みたいけど疲れちゃって読めない」っていう人がすごく多いのかもしれない。顔も知りえないたくさんの同志たちがいる。心強い。共に戦いたい。酒を飲みながら読んだ本とか、挫折した本とか、積読の話をしたい。

余力を残して生きる 読むために

この本の根幹をなす作者の主張は一貫している。私なりの解釈で要約すると

「仕事にすべてを捧げるのやめよう。長時間労働も、無理して成し遂げたことを称賛するのもやめよう。あらゆる手段を使っても仕事や家庭内の家事育児など、手を抜いて(意訳)やろう。浮いた余力を読書をはじめ好きなことに費やそう」

という感じである。

ほんとにそう。

ほんとうに、そう。

本に書いてあることが今すぐ自分を救ってくれたり今困っていることを速攻で解決してくれるとは限らない。読んだ先から忘れてしまうかもしれない。

それでも、今自分の中になかった他の誰かの物語や、知識や、面白いこと、それらが自分を形成していくし、いつか自分を救ってくれることがあるかもしれない。

本の中には、私たちが欲望していることを知らない知が存在している(中略)だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。

自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。

そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。(中略)

仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。

P233-234

私は、世の中は複雑であればあるほどいいと思っているし、可能な限り複雑な世界に触れたい。

忙しいからという理由で自分が食っていくための最小限のことだけに自分の時間を使っていたら、自分の周りはどんどん単純化し、分かりやすく、自分ナイズされすぎてしまう。そんな毎日あまり面白くなさそう。由々しきことだ。

気になった人は読むべし

この本は、仕事術や読書術の本ではない。著者の主張は前述したが本文の多くの部分を「日本人と読書の歴史」に費やしていて、そちらも非常に興味深かった。このブログを本要約ブログにするつもりはないので興味のある人はぜひ読んでみてください。

時代は明治時代に始まりますが、現代の本要約youtuberやファスト教養の需要などについても触れられています。

著者の主張に激しく同意し、本を読んだりその他の本業以外のことを楽しめる人が増えるといいな、と私も思っているので、仕事育児家事はそこそこに、堂々と本を読んでいきたいと心に決める所存です。

共感してくれる方も今日から始めてみましょう!

ではまた。

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